水戸に来たらまず水戸八幡宮へ

八幡宮

八幡宮はヤハタの神ともいい、全国各地に多く存在します。

今回は水戸の八幡宮に参拝してみたいと思います。

目次

水戸八幡宮の成り立ち

こちらの神社は佐竹義宣により創建されました。


1590年に水戸城主江戸氏を滅ぼした義宣は、翌年に常陸太田より居城を移します。

その際に、もともと氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎。

のちに、八幡小路(現在の北見町)を聖域と定めて、慶長三年(1598)に御本殿を建立し、水府総鎮守の社と定めました。

これは、国指定重要文化財となっています。

そして1602年、佐竹氏が秋田に移動封になると水戸は徳川家の配下となります。

江戸を中心に、水戸、尾張、紀州と徳川御三家と呼ばれることになりますが、水戸徳川家は25万石で従三位権中納言でした。


その水戸藩二代目藩主の光圀公のとき、神社仏閣を修復し神社整理を行い、現城里町那珂へ御本殿始め移遷されました。

1709年には三代藩主綱條公の時代になり、氏子等の請願により那珂西から再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。

水戸に再遷座される際、白鶴一羽が舞い降りて神域を卜定したと伝わっているそうです。

八幡宮正門

八幡宮の御祭神

誉田別尊(ほんだわけのみこと)
息長足日売尊(おきながたらしひめのみこと)
姫大神(ひめのおおかみ)

八幡宮は、ほとんどがこの三体を同時に祀っています。


誉田別尊は応神天皇とも呼ばれていて、巴の神紋と関連が深かったり大陸を渡ってきた神様だとか様々な記述がある魅力的な人物。

この応神天皇についてはまた別ブログにて記録していきますね。


八幡宮の正門には赤龍がおります。

八幡宮は火伏せの神とも言われているので、赤龍なのでしょうか。

赤龍は紅龍、太陽や火山から生まれた龍で火を吹くからなのか、そうだとしたらちょっとおもしろい彫刻ですね。

赤い龍

八幡宮の摂社

ちなみにこの八幡宮は、たくさんの摂社がありその中でも珍しいのがこちらです。

青麻神社

青麻神社。

日本の神様は日が多いんですが、なんとここは星の神様まで祀られています。

星の神といえば香香背男を思い出しますね。

>>茨城を守る四匹の狐の兄弟

いわれを読むと宮城県に本社があり、そこでは日月星の神として

日神-天照大御神

月神-月読神

星神-天之御中主神

が祀られています。

天之御中主神(アメノミナカヌシ)といえば、造化三神の一体で天地のはじめにこの地に降り立ち、配偶神を持たない独神です。

陰陽に基づいて作られた?八幡宮

さて、この八幡宮は水戸藩の管理下になると水戸光圀公が手入れをしたとされています。

光圀公といえば陰陽思想、風水などを取り入れた物が多く、八幡宮も拝殿をぐるっと囲むようにして十二支の銅像が並べられています。

面白いことに、ネズミは単体ではなく大黒様と一緒!

かわいい。

>>大黒様の日お歳夜のご利益

八幡宮には荒御魂と和御魂がある

そして、もっと珍しいのは荒御魂と和御魂が分かれて鎮座しているということです。

神様には和御魂と荒御魂が存在し、善悪どちらも持ち合わせていて、どんな完璧に見える人でも、陰陽どちらも持っている。

そう考えると、神様も遠い存在ではなく非常に人間味があり親しみやすいですね。

この武内宿禰命についてですが、ここの御祭神である息長足日売尊(神功皇后)の助けとなり、神羅を従わせたという記述があるそうです。

ちなみに、神功皇后である息長足日売尊は応神天皇の母にあたります。

和御魂

先程記述した十二支の像ですが、子年がある方に荒御魂つまり陰があり、陰から陽へ抜けていくようになっていました。

十二支の像

この作り、水戸の偕楽園と同じですね。

但し、偕楽園を整備したのは斉昭公、つまり光圀公の後の藩主です。
>>徳川斉昭が烈公と呼ばれたわけ

元々、徳川家康が風水を取り入れていて水戸は江戸から見て鬼門に当たる位置であり扉の役割を持っています。

光圀公は二代藩主、この時代にもかなり風水を取り入れた建物や関連した食べ物などが取り入れられたようなので、きっと斉昭公の時代まで代々伝えられていったのでしょう。

また、この烈公は希少が激しかったためこの名がついたのですが、歴史的には異形を成し遂げた方です。

1829年当時、水戸は35万石でしたが1万石の援助金を受けていました。

斉昭公は、この藩政を改革するために援助金を返上し、自身も質素な生活をし質素倹約に努めたのです。

その一方で紙やタバコなどの産業復興を図ったり、人材育成のための「弘道館」やお休み処としての「偕楽園」の建設、身分が低くても能力のあるものを抜擢し側近に引き入れたりと外国と渡り合えるような国造りを目指しました。

上杉鷹山も、同じような改革で藩政改革をした人物でしたね。

>>上杉鷹山の名言に学ぶ なせば成るの精神

烈公のお休み処

この八幡宮の第三駐車場付近に、斉昭公がお休みどころとした御涼所が存在します。

御涼所

今はケヤキの大木は御神木となり、付近には入れないようになっていますが門をくぐり立ち寄ることは可能です。

当時は平原と川が見えて景色が綺麗だったのでしょうね。

水戸八幡宮

所在地〒310-0065 茨城県水戸市八幡町8-54
交通案内:常磐自動車道 水戸インターより水戸市街方面へ
TEL:029-221-5327/Tel.029-226-8854(昼間のみ)
御祭神:誉田別尊
神紋:三つ巴

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この記事を書いた人

陰陽五行とマヤ暦とリラクゼーション。本業はじんわり体が解けていく解凍系施術師です。体だけでなく、心や資質の分析、物事の仕組みを解読したい!知りたい!という探究心は誰にも負けない四児の母。血をたどると巴御前から名前を分けてもらった一族らしい。産後なぜが雨属性になり、出かけると雨が降るようになりました(ヽ´ω`)夫は太陽神並に晴れ男。

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