茨城と栃木の県境に鎮座する鷲子山上神社

鷲子神社

ちょうど、県境に位置するちょっと変わった神社があるということで先日参拝してきました。

その名も、鷲子山上神社。

目次

鷲子山上神社の由来

別名「フクロウ神社」と言われるここは、茨城県と栃木県どちらからも入れるようになっていますが、栃木県川の道路は細く車のすれ違いが難しいため、こちらは出口優先となっています。

茨城県側から、山を登っていくと駐車場がいくつかありますのでそこから止めて少し歩きます。

対向車注意

日本一の大フクロウ

坂を登りきると、左側に大きな赤い鳥居と、その後ろに地上7メートルの巨大なフクロウが見えます。

大フクロウ

ここに参拝すると金運がアップするといわれ、各メディアでも取り上げられました。

その御利益とは

  • 宝くじがあたった
  • 温泉をひきあてた
  • 商売が繁盛した

などなど、幸運にまつわる話が絶えないことからパワースポットとして人気があるようです。

この大フクロウの下には不苦労御柱という柱があり、そこを叩くと願いが叶うというちょっと変わった祈願の仕方をとります。

フクロウ御柱

この金運アップにあやかって、休日には全国から沢山の利用者が訪れるそうです。

また、防災厄除けとして四神の御柱もあり、こちらは叩かず両手をあてて願いを込めます。

青龍、白虎、朱雀、玄武それぞれ自分と縁があるところを選びます。

鷲子山神神社のなりたち

この鷲子山上神社は、土地の人「宝珠上人」により作られたとありました。

宝珠上人は土地の人で、諸国遍歴中に四国の阿波国に立ち寄り、製紙業が盛んであることを知り、紙漉きの技術と共に守護神である天日鷲命を勧請しました。

この地域は鷲ノ子和紙という紙を漉く場所であったそうで、江戸時代には水戸藩指定紙漉き場だったという石碑も建っています。

天日鷲命を勧請したのは、地元産業をより盛んにしようという思いがあったのですね。

また、宝珠上人(大蔵坊宝珠上人)は、他にも東金砂神社や西金砂神社など周囲の社殿も作ったといわれており、この2つの祭神は大己貴命と少彦名命ですが、鷲子山神神社も後に疫病が流行ったために大己貴命と少彦名命を合祀したそうです。

大己貴命は言わずとしれたオオナムチ、大国主之命です。

>>大黒様の日お歳夜のご利益

少彦名命は大国主之命とともに国作りを行った神様といわれ、その小ささから一寸法師のモデルになったともいわれています。

天日鷲命とは

御祭神の天日鷲命は、天岩戸の際に神々が踊り歌いだしたときに楽器を奏でていた神様で、その弦の先に鷲が止まったのをみて「これは世の中を明るくする吉祥の鳥だ」といってこの神の名を天日鷲命と名付けたそうです。

忌部氏の祖先とされ、先に上げた宝珠上人もこの系統だったとか。

忌部は「斎」を使って「斎部氏」を正式な書き方として、斎きなる(聖なる)ことを生業としていいました。

神武天皇の大和入りの際に、ともに現代の日本を作った一族で、天太玉命が天日鷲命であるという説があります。

ユダヤの流れを組んだ秦氏(神武天皇)が大陸を渡って来たときには、もう物部氏という大和の民がいて、この物部氏は饒速日命を祖先としています。

この饒速日命は天照大御神の子である天忍穂耳尊が父であり、妻は瀬織津姫と言われていますが謎に包まれた神様です。

物部氏は後に、忌部氏の系統である藤原氏によって滅ぼされ歴史から姿を消しました。

一体何があったのか、それを知るすべはもうありません。

古事記や日本書紀は藤原不比等の主唱によって編纂されており、それ以前の歴史をまとめたものはないと言われています。

旧日本書紀があるという話を聞いて気になっていますが・・・

現代語訳
先代旧事本紀 現代語訳
現代語訳

フクロウが点在する神社

話を戻して、鷲子山上神社の参拝に戻ります。

本殿の前に来ると、丁度県境。

県境

ちなみにお賽銭、どうやって分配しているのかと不思議だったのですが、聞くと折半しているのだそうです。

赤い大きな鳥居をくぐります。

赤い鳥居

真っ直ぐ進むと楼門があり、中には阿吽の仁王像が立てられています。

この社務所から拝殿前までの階段は96段(苦労)あり、片道苦労、往復不苦労の石段と言われています。

石段の手前の左側には「福ふくろうロード」があり、ここは景色を眺めながら様々なふくろうを楽しむことができます。

ふくろうロード

なだらかな坂の両端に、たくさんのフクロウが並び参拝客を楽しませてくれます。

その数なんと約100体!

〇〇ふくろうと名前がついていて、一つ一つなでていくとそれぞれご利益があるそうです。

元気フクロウ

九星ふくろう、十干十二支ふくろう、お願いフクロウ、なんでも叶うフクロウなどなど・・・

階段が見えてきたら、その先には稲荷神社が鎮座していました。

フクロウ神社のお稲荷様

お稲荷様

シンプルな作りのお稲荷様ですね。

比較的石が新しい印象を受けましたが、公式HPを見てみると「平成二六年、大那地氏子により整備され「きつね像」も奉納されました」とありました。

こちらは後からできたもののようです。

大杉に守られた本殿

このお稲荷様からさらに階段を登っていくと山頂に見えてくるのが本殿です。

地面まで届くほど長い真麻が3本。

ここにある杉は天狗が駆け上った跡があると言われるものや、樹齢1000年を超える老樹があったりと自然が豊かで、木々に囲まれて落ち着いた空気が漂います。

ここでは、毎年11月第3土曜日に「夜祭り」が行われ、開山以来の伝統の祭りとされています。

 「夜祭り」は、江戸時代から続いている伝統の祭りで、現在は毎年11月の第3土曜日に開催されています。
 この祭りは、「本宮祭」「三本杉祭」「御本社祭」の三つに分かれます。「本宮祭」は、本宮にて氏子の持参した二又大根、白酒を供えられました。「三本杉祭」は、三本杉社の前に荒菰(あらこも)を敷き、提灯の明かりの中、氏子の作った小粒もちを三本杉社に供えられました。「御本社祭」では、氏子の作った籠物、旗3本、白酒、小粒餅、茹で小豆を神前に供え、参列者全員が神前で白酒(甘酒)、小粒もち、茹で小豆を食する「神人共食」が行われました。現在まで古い祭典の形や作法を残している祭りです。

参照元:鷲子山上神社 夜祭り

ここでも二股大根が出てくるのですね。

やはり、大国主之命(大黒様)が祀られているからでしょうか。

フクロウ神社の椿茶屋

参拝を終えて、一息つくとき訪れるのが椿茶屋。

もっちりした金運団子や、山菜おこわがよく雑誌に掲載されるほど密かに人気のスポットです。

食べると幸福になれる食事が並びます。

金運団子

こちらの団子は黄色で、どうやらかぼちゃが練り込まれているようで食べるとタレの甘じょっぱさとほんのりかぼちゃの風味が混ざり非常に美味しかったです。

鷲子山上神社の詳細

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この記事を書いた人

陰陽五行とマヤ暦とリラクゼーション。本業はじんわり体が解けていく解凍系施術師です。体だけでなく、心や資質の分析、物事の仕組みを解読したい!知りたい!という探究心は誰にも負けない四児の母。血をたどると巴御前から名前を分けてもらった一族らしい。産後なぜが雨属性になり、出かけると雨が降るようになりました(ヽ´ω`)夫は太陽神並に晴れ男。

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