茨城県はひたちなか市に、ここに参拝すると宝くじが当たるという神社があります。
その噂を聞きつけてたくさんの宝くじ購入者が訪れるという人気のスポットですが、今回は、この神社の成り立ちについて書いていこうと思います。
磯前神社の椿並木
磯前神社は酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)と、近くに大洗磯前神社(茨城県東茨城郡大洗町)がありますが今回は酒列磯前神社の方を参拝しました。
ちなみに、大洗の方は日の出スポットとして人気が高いですね。
『文徳実録』によると、文徳天皇の斉衡3年(856年)12月29日に常陸国鹿島郡大洗磯前に御祭神大己貴命・少彦名命が御降臨になり、塩焼き(塩を精製する者)の一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」と託宣され、当社「酒列磯前神社」が創建され、また現在の東茨城郡大洗町には「大洗磯前神社」が祀られました。
引用元:酒列磯前神社
翌天安元年8月には官社に列せられ、更に10月には「酒列磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜の制では名神大社に明治18年4月には国幣中社に「大洗磯前神社」と共に列されました。
この酒列磯前神社に入ると、樹齢300年を超える椿やタブノキがトンネル状に続いていて、その参道は300メートルにも及びます。
太平洋が一望できる鳥居
参道を進んでいくと、左側に大きな鳥居が見えてきます。
鳥居から沿岸を一望でき、晴れたときには眼下に太平洋が広がります。
この鳥居の手前には「比観亭跡」という見晴らし台があり、かつて水戸六代藩主の「徳川治保公」がこの高台より絶景を絶賛し、あづまや造の日除けどころを建てたという経緯があります。
酒列磯前神社の幸運の亀
また、少し進むと斉昭公お腰かけ石とともに石碑がありました。
このお腰かけ石というのは、水戸藩九代藩主「徳川斉昭公」がヤンサマチという競馬祭りを見物する際に腰を掛けたと言われる石だそうです。
またこの側に亀の石像があり、これが噂の「幸運の亀」です。
この神社の近くにジョイフル本田ニューポートひたちなかがあるのですが、その店内の宝くじ売り場「ジョイフル本田チャンスセンター」での年末ジャンボ発売日に売り場で祈願祭を行っているそうです。
これにより高額当選したという方が、奉納したというこの亀の像。
以来、参拝して授与所で金運アップのお守りを購入し、最後に亀を撫でるとご利益があると言われています。
酒列磯前神社の境内社
また、ここは5つの小さな分社がありますがすべてシンプルな作りになっていて、よく見ないと文字が読めません。
やはり、そうなると水戸八幡宮の境内社は豪華なんだなぁと改めて思いました。
5社の中でも一番手が入っていたのはやはりお稲荷様ですが、ここのお稲荷様は子持ちスタイルでしたね。
酒列磯前神社の境内
境内に進むと、右側には神馬舎という馬を祀った舎がありました。
これは神社により異なりますが、黒馬が祀られているところもあります。
昔は実際に馬を祀ったという話もあったようですが、いつしかそれは絵馬という形になって行きました。
白は祈晴、黒は祈雨を呼ぶと言われますが、易でみると白は天、黒は水。
おそらくですが、これを利用したものなのではないかと思います。
さらに左側には磯崎種吉という方の銅像があります。
当社の再興に多大な尽力をされた方という説明がありましたが、どうやら地元に生まれ街の復興にも力を入れていた事業者で盆栽、陶芸などで有名だったようです。
酒列磯前神社の主祭神
この神社の主祭神は、少彦名命です。
つまりは恵比寿様ですね。
ちなみに、この神社では配祀神が大巳貴命になっていて通称大黒様です。
殆どの神社は、少名彦が配祀神となることが多いのですがここは逆なんですね。
それも、海に面した神社であることと少彦名命は医薬の祖であること、百薬の長である酒の神として崇敬を集めていることがあるからなのでしょうか。
また、ここは旧社名が酒列磯前薬師菩薩神社であったそうです。
ということは、もしかしたら水戸藩が徳川になり進められた仏祭廃止によって神社になったのかもしれません。
拝殿はシンプルな作り
こちらの拝殿は、装飾もシンプルで非常にさっぱりしています。
どことなくお寺に雰囲気が近い気がしますね。
ちなみにこのカバーで覆われている彫刻は、日光東照宮の「眠り猫」を制作した左甚五郎の作と言われています。
後ろは本殿となっていて、脇には日露戦争からの戦没者をお祀りしている鎮霊社がありました。
酒列磯前神社
所在地〒311-1202 茨城県ひたちなか市磯崎町4607−2
交通案内:北関東自動車道ひたち海浜公園インターより10分 駐車場約60台可能
御祭神:少彦名命
神紋:菊花紋
ホームページ:https://sakatura.org/
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