2019年11月23日、ひたちなか市の堀出神社に「ほしいも神社」が創建。
一体どんなところなんだろう?ということで、行ってきました。
堀出神社のなりたち
干し芋神社は、酒列磯前神社から車で3分。
走っていると見過ごしてしまいそうですが、細い道の途中に鳥居が見えてきます。
堀出神社。とありました。
ほしいも・・・?と思いながら入っていくと、両脇の石垣がところどころ崩れている参道を通り、本殿に入っていきます。
堀出神社から出てきたもの
この堀出神社は、昔、あるものが掘り出されたことから名前がつけられました。
磯崎大明神(酒列磯前神社)をはさんで前浜、平磯両村の境界論争がつづいたので、寛文3年(1663年)8月13日、岡見弥次右衛門尉吉為、前浜村庄屋弥右エ門、組頭太郎右エ門等検分途中、路中吹きはげの所に備前焼で忌垣二重に囲い内くぼみになっておる処を見つけ、案内にそこを掘らせたところ、石廊あり、中から刀、折れた脇差、槍、鉾3枚、矢の根、具足、州枚形からがね2枚、天目などが発見された。この品々はさっそく水戸城中へ送られ、詮議の結果「磯前明神の本体であろう」と結論されたので、前浜村鎮守を望む地元の意向をくんで、岡見吉為が小社を建てた。
引用元:堀出神社
また、この神社の御神鏡は水戸藩初代当主頼房公の三男である光圀公が、古墳を発掘し見つけ出し奉納したそうです。
古墳の場所は未だ不明とされていますが、ひたちなか市は虎塚古墳はじめ多くの数多くの古墳が点在していますね。
一体どんな歴史があったのか・・・その頃の資料が少なく辿ることが難しいのですが、豪族が多かったという記述がありました。
堀出神社の鎮め石
境内に入って左側に、鎮め石がありました。
鎮め石といえば、茨城では常陸国一の宮「鹿島神宮」が有名でしょうか。
水戸では弘道館に隣接する鹿島神宮に要石がありますが、神紋が三つ巴であるので須佐之男の系統ではないかと推測されます。
堀出神社の御祭神は、誉田別尊。
また、境内には小さい分社がいくつかあったようですが、地震で崩れてしまったのでしょうか。
- 第六天神社(面足命おもだるのみこと 惶根命かしこねのみこと)
- 月読神社(月読命つくよみのみこと)
- 稲荷神社(倉稲魂命うがのみたまのみこと)
- 難産除社(誉田別尊(ほむたわけのみこと)
とありましたが、稲荷神社、大黒様は意外は石像のみ並べられていました。
ほしいも神社の御祭神は
さて、この堀出神社の奥にある階段を降りると、真新しい金色の鳥居がズラッと並んでいました。
テレビでも一時期取り上げられていましたね。
どうしてほしいも神社ができたのか?というと、令和元年に合わせて創建したかったとのこと。
もともと、干し芋は静岡から始まったもので茨城では1908年に湊町のせんべい屋・湯浅藤七が製造をはじめました。
茨城県での干し芋製造は那珂湊(現ひたなか市)で始まりました。湊町のせんべい屋・湯浅藤七が1908年に干し芋の製造を始めました。それに目を付けたのが水産加工業者たちでした。宮崎利七は大規模な加工所を作り、収益を上げました。
引用元:ほしいも学校
同じ頃、湊に近い阿字ヶ浦(現ひたちなか市)の小池吉兵衛も干し芋製造を始めました。吉兵衛の弟・大内地山が時の知事・森正隆から勧められのがきっかけでした。それより10年ほど前に、同じ阿字ヶ浦の照沼勘太郎が干し芋づくりを始めたようですが、規模が小さく、広まりませんでした。
この、小池吉兵衛の銅像がほしいも神社の鳥居の前にありました。
ちなみに御神体はお稲荷様だそうで、小池吉兵衛さんを祀っているわけではないようです。
確かに、食べ物の神様なのでお稲荷様に見守ってもらうことで茨城の干し芋が全国に広まっていくといいですね。
堀出神社
所在地〒311-1201 茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町178番地
交通案内:電車:勝田駅より阿字ケ浦線に乗車、終点阿字ケ浦駅で下車→徒歩2分
車:東関東自動車道路「ひたち海浜公園IC」より5分
御祭神:誉田別尊
神紋:三つ巴
HP:http://horide-hachiman.com/
コメント